みけぽんのブログ

日々の日記を綴りたいと思います。

献立表を書くこと

私は前にも書いたとおり、30年以上も主婦をやっている割に、あまり料理が得意ではありません。なのでレパートリーもありきたりなものしかなくて、毎日の夕食作りには頭を悩ませていました。

それで、なにが一番の悩みなのかをよく考えてみました。

夕方に炊事をしなくてはならない時間になる少し前から、なんだか落ち着かない気持ちになります。今日は何を作ればいいの?冷蔵庫にはあれがある、乾物にはあれ、野菜はこれとこれ、んーと、んーと。

頭をフル回転しようにもなんだか油が切れてる感じで回転が悪い。作るのがマジで面倒という日もあるし、ひどい時には頭の中が真っ白になって途方に暮れるということも。

これって、何を作るかが先に決まっていて、材料が揃っていれば、悩まなくてもいいんじゃない?と閃いたのが、1週間ずつ献立を決めて、材料をそろえておくことです。

そのヒラメキのヒントになったのが、保育園の毎月の献立表でした。

給食の先生たちは、あらかじめ決まっているメニューと、揃えられた材料があるから、今日は何を作ろう?なんて悩むことなんかないはず!

1ヶ月は無理としても、1週間ずつならできるかも、というわけで、去年のお正月明けから(約1年前ですね)書き始めました。

 

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献立の内容は中学生でも作れそうなものばかりで恥ずかしいのですが、

これをパートがお休みの金曜日に書くことにしました。そして買うものをメモして、買い出しに行くのです。日中なのでスーパーもさほど混んでいません。

そうしたら、なんと毎日の夕食の準備に関わるストレスが半減したのです。(全部とは言わない)

それで、毎週欠かさず献立表を書きながらこの一年間、毎日の炊事をしてきました。

人に言うと、すごいとか言われることもあります。

でもこうする方がわたし的には断然楽なので、全然すごくなんかないです。もちろん、日によって変更、入れ替え等何でもアリです。

これを、キッチンの流しの右上あたりに吊っておき、いつでも見て確認できるようにしておきます。

今日作るものが決まっていて、材料が揃っているだけで、随分と気持ちが楽になりました。これからもこのやり方でいこうと思います。
 

料理は好きではありません

私は主婦なので、毎日食事の支度をします。主婦歴32年、もっと言うと一人暮らしをしていた時も自炊していたので、35年以上料理を作りながら生きてきたことになります。

なので、簡単な料理、といっても自分のレパートリーの中でしかないのですが、ある程度のものは頭に入っていて、いちいち考えなくても作れることは作れます。

例えばきんぴらごぼうとか。

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きんぴらごぼう、って簡単な料理の代表みたいなものですけど、本当は面倒くさいんです。なぜかというと、ごぼう、人参、こんにゃくを、細く刻まないといけないんですよ。トントン、トントン、トントン、トントン・・・。

単純作業ではありますが、結構量がありますから大変なんです。しかも、指の先がごぼうのアクで黒くなります。だから作るのはあんまり好きではありません。

根気よく材料を刻み、せっせと炒めて味をつけて、食卓に出すとみんながあっという間に全部食べてしまいます。半分残しておいて常備菜に、なんてことはできないのです。

喜んで食べてくれるのはまあ、嬉しくないわけじゃないけど、なんかあっけなくて割に合わない感が強い料理の一つです。

毎日炊事をしていると、この頃は特に、時々うんざりすることが多くなりました。

もう嫌だー!私は料理なんか嫌いだー!と叫びたくなるというか。

何を作るか考えるのが面倒なのです。

今家にある食材を無駄にせぬよう、同じようなものが続かないよう、パートの日は短時間で手早くできるメニューを、と色々な制約の中で・・・

毎日の献立を考えること自体が面倒くさいのです。調理する以前の問題です。

 

 

 

 

 

 

野良猫チビ太のこと

我が家の庭に、春に子猫が出没するようになりました。その子猫は人懐こくて、私が外に出ると近寄ってきます。鳴き声が変わっていて、ニャー、ではなくて、ムー、と鳴きます。結構小さいうちに親から離れてしまったのか?一人ぼっちです。

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そして窓越しに、トラの姿を見て親しそうに鳴きます。大きな猫を見て、親を思い出しているのか?

いつしかかわいそうになって、チビ太と名前を付け内緒で餌を与えるようになりました。チビ太はますます我が家に懐いていきました。

時々、トラが隙を見て玄関に宅配の人が来たときやサッシの網戸をこじ開けたりして、脱走することがあると、チビ太は大喜びしてトラにじゃれついていきます。

トラの方は、別段怒る様子もなく、何するんだよう、という程度のあしらい方で、喧嘩にはなりません。チビ太はトラの後をついてまわります。

これが他の猫の場合、威嚇してフーッと怒り、ギャウギャウ!と本気の戦いになるんですが、トラはそんな本気の喧嘩をしたことがありません。しかも去勢しているので、そういう血気盛んな部分は半減しているようです。

というわけで、チビ太はトラのことを慕うようになります。

夏も過ぎ、チビ太は段々と身体も大きくなってきました。冬になる頃には冬毛のせいもあってかムックリと太って、堂々とした大人の猫らしくなりました。

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トラのおかげで猫好きになった夫が、冬を迎えるチビ太に、建築用の断熱ボードとダンボール箱を使って、チビ太の家を作ってくれました。

すっかり我が家の外猫になってしまったチビ太です。

トラが来たときのこと

 トラが我が家にやってきたのは、本当に突然のことでした。
 もともと大の猫好きで、猫を飼いたくて仕方がなかったのですが、同居していたお姑さんが動物を飼うのが好きでなく、仕方なく諦めて26年間ほど我慢をしていたのです。
 けれど、そのお姑さんが認知症になり、身体機能の衰えが著しくなり施設に入られました。そしてそのたった2週間後に、娘が友達の家から茶トラの猫をもらって、真夜中に連れて帰ってきたのです。生後約6ヶ月の子猫、といっても体はけっこう大きくなっていましたが。
 その夜は娘が抱いて寝ようとしましたが、友達の家の動物たちの毛やらハウスダストにやられて、両目のまぶたが異様に腫れてしまったのです。もしや猫アレルギーかと危ぶまれたので、その夜は私がその猫を抱いて一緒に寝ました。
初めての場所に始めこそニャー、ニャーと鳴いていましたが、一緒に寝ると大人しくなり、いい子で一晩ぐっすり寝ました。

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 翌朝は抱っこして下に降り、夫にも見せようとしたのですが、廊下にいた夫を見るなり驚いて暴れ、階段をかけ上がってしまいました。
 夫も突然の茶色い動物との遭遇にびっくりでしたが、あまり猫を好きでなかった夫も、茶トラなら許す、と言ってくれました。(意味がわからん。どんな猫でも可愛いのに。)

娘も眼科に行って診てもらいましたが、猫アレルギーではないということで一安心しました。
 名前をどうしようということになって、私が開口一番、「寅次郎でいいんじゃない?」というと、男はつらいよシリーズの大好きな夫も賛成し、寅次郎に決まりました。でも、呼ぶ時はトラ、とかトラちゃん、と呼びます。全くフーテンの寅さんと同じです。
 それ以来、トラは我が家のアイドルとなり、猫を嫌いだった夫が一番変わりました。次々と猫用におもちゃやおやつを買ってきたり、ネットでねこグッズを検索しては買ったりして、トラと遊ぶのが日課になりました。家族の会話はもっぱらトラのことです。前よりもみんなのおしゃべりが増えました。
 今は、トラは4歳。5キロ以上もある大きな猫になりました。でも、変わらず可愛いくて面白くて、家族を癒してくれています。

やっぱりインフルエンザ

 土曜日の夜から日曜日にかけて、高い熱でうなっていた娘ですが、日曜日の夜中も2度、電話で私を起こしてアイスノンを取り替えてくれと言いました。
 朝になって熱を計ると40.0度です。これは、もう一度診てもらうしかないと、かかりつけの医院に受付をしに行きました。1番でした。
 娘を連れて行くと、フラフラの娘を見て看護師さんが、診察までの間ベッドに寝かせてくださいました。そしてインフルエンザの検査をしてもらうと、今日ははっきり陽性と出ました!やっぱりねー、って感じです。
 飲み薬は2種類あって、1回飲んだらおしまい、というのと、何回かに分けて飲むのとどっちがいい?と聞かれ、娘が1回のがいいと言いましたので、ゾフルーザ錠というのを出されました。2錠で1800円もしました。診察費も検査があったため少し高めで1930円、昨日の救急外来の分と合わせるとほぼ1万円の医療費を払ったことになります。痛いけど、今回の場合は仕方ありません。
 娘は帰ってすぐにその薬を飲み、カロナールも飲み、しばらく寝ました。今日はいい天気で外はこんなに晴れているのに、寝るしかないなんて。仕事も1週間休まなくてはなりません。

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 私も今日だけはパートを休むことにして、ほかの日と替えてもらうよう電話で上司に頼みました。
 娘はしばらく寝たあと少し熱も下がり、気分が良くなったらしく昨夜食べそびれたカレーが食べたいと言います。やれやれです。もうインフルとわかったからにはとにかく治るのを待つしかないので、食べれる時に食べて、寝て、の繰り返しです。
 孫は、お嫁さんの実家に行っているので、こういうわけだから今週は帰ってこない方がいいよー、って家族のラインで連絡しました。

 

娘が発熱

 私にはもうすぐ26歳になる娘がいます。今秋より念願の一人暮らしを始め、週末だけ我が家に帰ってきます。
 お正月休みも3が日で終わり、やっと仕事始めで二日出勤してまた昨日帰ってきました。そして曰く「私なんだか風邪ひいたみたい。夕方から喉が痛くなってきた」

 本人から風邪引き宣言をするとは、よほど体調に異常をきたしているのだなと思いつつ、ご飯は食べやすいメニューだったらしく全部食べたので安心していました。
 ところが、早めに布団に入ったはずの娘が夜中になって降りてきました。「熱が38.8度ある~」「頭痛い~」と言うのです。汗まみれです。それは大変と着替えを用意したり頭を冷やすものを持ってきたり、水分補給用の水を汲んできたり。バタバタと階段を上がったり降りたりしました。
 朝になっても全く熱は下がってなくて、むしろ38.9度とかに上がっています。
身体の節々が痛いとも言うので、もしやインフルエンザか?と。もしそうなら早めにそれなりの薬を飲んで早く治した方がいい、と休日当番医を調べ、一番近い県立病院に連れて行くことにしました。

つい最近、新築したばかりのピカピカの病院です。どこもかしこもキレイすぎる!などとキョロキョロしながら、受付で指示されたエスカレーターに乗って2階に上がりました。

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 早めの時間に行ったので、幸いにも待ち時間は少しで、娘は熱が高いので「発熱のお部屋」というところに連れて行かれました。それから待つこと2時間以上。急患の患者さんはどんどんやってきます。
 おそらく点滴をしてもらっているのではないかな?と思いつつ看護師さんに聞いてみるとやはりそうでした。
 ほどなく病室に呼ばれ、点滴の終わった娘は解熱鎮痛薬をもらって飲んだので、頭痛が引いて楽になったと言い、足取りもしっかりしていました。インフルエンザのような症状だけど、検査の結果は陰性だったとのこと、ただタイミングもあるから違うと断定もできないと。
 とりあえずのお薬をもらい、精算してもらいましたが、休日の医療費高くてびっくりしました。6千円以上かかりました。それで娘はまたヘロヘロになっています。
 帰ると夫がさつまいも入りのお粥を作って待っていてくれました。娘はそれを食べ、また布団に入りました。
 ところがやっぱり、夕方になるとまた熱が上がってきました。今度は39.1度です。気持ち悪くて何も食べれないと言います。やはり薬で抑えていただけでした。治るにはもうしばらくかかりそうです。

 

願えば叶うこと

 今日も昨日に引き続き、午後からはパートでした。
 まだお正月休みの人も多く、土曜日ということもあって、子供たちの人数はとても少なく、お昼寝から起きてからもこじんまりとした風景でした。

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 私が保育士のパートをする前は、パートではなく正職員の保育士として31年間働いていました。それがなぜパートになったかというと、仕事のしんどさに行き詰まって心を病んで退職したからです。病む前は何もかもが自分にとってのストレスで、子供たちに日々癒されながらも、心はどんどん仕事から離れていきました。当時は息苦しく、重い荷物を背負って歩くような気分の毎日でした。
 でも辞めるという選択肢もあるということに気づき荷物を降ろしてからは、とても気持ちが楽になり、自分を取り戻せたように感じました。
 今はパートとして、無理のない範囲で仕事ができることに感謝しています。一番大事にするべきなのは自分の気持ちだと、何十年も生きてきてつくづく思います。だからいつでも、本当にしたいことを追い求めて生きることをやめないでいようと思います。諦めて生きるのもありかもしれないけど、私は諦めるのではなく、自分に今一番必要なのは何かな?と問い続けていきたいです。
 なんだかんだ言いながら、私は強く願った夢を、今まで一つ一つ叶えてきているのです。保育士になったこと、親元から離れて一人暮らしをすること、結婚して子供を育てること、そして仕事を辞めること、猫を飼うこと。後から振り返るとそれらは皆、私が強く希望していたことばかりでした。すぐには叶わなくても、数年後、十数年後には叶っているのです。
 これからも私はきっと、強く願ったことを一つ、また一つと叶えながら生きていくのだと信じています。